【ルーツVol.8】職業:経営者 /石原由美子

投稿者: | 2017年12月8日

「チアで関西を元気に」という理念のもと、現在創業12年めを迎えた「チアリーダーズクラブJUMPS」。 チアダンススクールの運営だけに留まらず、講師派遣、各種イベント出演など、関西各地で精力的に活動を続けるいわば関西の応援団です。マスコミからも注目を集めるこの組織の代表・石原由美子さんに、今回はお話を伺いました。

「企業のチアリーダー」として働けることが
楽しかったリクルート時代

ーJUMPSを始める前、リクルートグループにて様々な企業を応援していたそうです。

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・松本
JUMPSはいま創業してから12年?でしたよね。

・石原
そうです。創業というか、なんというか・・・12年前に設立したとはいえ、いわばサークルみたいな感じだったんですよね。今思えばね。
まだ若かったし、20代のただ元気な女の子が、「やりたい!」「関西元気にするねん!チアで!」みたいな。ちょっとねー、頭がおかしかった・・・ですよね・・・。

・二人
(笑い)

・石原
まさか仕事にしようって思うなんて・・・。
自分でもまあ、ようこんな無謀なこと考えたな、って思いますね。
今になって、思います(笑。

・松本
立ち上げたのは29歳の時でしょ?
まだリクルートのHR事業部で営業マンとして活躍していた時?

・石原
そうなんです。2足のわらじで・・・

ゼクシィの営業を3年やって、HR事業の営業して3年。
結局リクルート系には6年居たんですけど、HRの2年目の時にJUMPSを始めました。

・松本
きっかけは?なにかあったのかな?

・石原
チアが大好き、ってそれだけです。
もちろん、今でもその気持ちは1ミリも変わらず、大好きなんですけど。
チアが持ってる自分の元気さで、色んな人を元気づけていく、
いわゆる「チアスピリット」って私は呼んでるんですけど、
そのスタンスが素晴らしいなと思っていて。
自分の中では大事に持ちづつけている精神性だったんですけど、
それがまさか仕事にするなんて、夢にも思わず…。

リクルートグループにご縁があって、お仕事させてもらっている時に、
中小企業の社長さんだったり、人事の部長さんだったり、いろんな方にかわいがっていただく中で、「石原さんと居たら元気出るわ。」とか、「何か勇気づけられるねん。」とか、
「元気なかったけど、もうちょっと頑張ってみようかなと思う。」とか、
そういう言葉をたくさん頂いたんですよね。

・松本
あーでもわかるー。
石原ちゃんとおったら元気になるってすごくわかるな。

・石原
ホントありがたいですよね。でもそれは、自分が大学時代に教えてもらった「チアスピリット」っていう精神を自分の中で軸として大事に持ち続けていたからこそ、成せた技だな、って思っていて。

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学生時代はただただチアが楽しいし、「チアスピリット」も
自分の中だけに持っていればいいモノで、それだけで充分だったんです。
でもいろんなお客様から「あなたといたら元気が出るよ」って言われたり、
また営業としても売上という結果を残せたり、
なにより、自分自身が営業という仕事をすごく楽しみながら取り組めている中で、
「チアスピリット」って、もっと社会に出していいモノじゃないかって、
思うようになってきたんですよね。

世に出す価値のあるモノなんじゃないかな、
みなさんに喜んでいただけるものなのではないかな、って。
まあ若い女の子でしたしね。元気だったし。
「みんな一緒になってやって行こうよ!」みたいなノリが大きかった気がしますが。

・松本
一緒にやることが楽しかった?

・石原
そうですね。私ね、「会社のチアリーダー」っていう気持ちで仕事してたんです。
企業様を応援するぞ、企業のチアリーダーだぞ、って気持ち。
その会社を応援するって思うからこそ、感情移入ができるし、
いい提案も出来ると思っていました。

・松本
うん、うん。

・石原
どんどん感情が入っていくと、もっと知りたい、とか、
この会社にはどういう提案をしたらもっと喜んでいただけるか、とか、
すごく考えるようになる。うん、いつもそんなことを考えてる営業マンだったんですよね。

・松本
大好きな人を応援したい、それって営業の基本かもしれないね。

 

「おとなしく、自己表現できない子」だった。

ーそんな自分を変えてくれたチアリーディング。
チアリーディングを初めてみたのは大学一年生の時。
第一印象は「憧れ」よりもむしろ、「衝撃」に近かったのだそうです。

・松本
人を応援したい、っていうのは、
チアと知りあってから変わったのか、
それとも昔からクラスのムードメーカー的な子だったのか。
自分では客観視してどう思います?

・石原
もともとは割と…。
大人しかったんですよ、わたし。子供の頃は

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・松本
!!!!!!

・石原
そない驚きます?(笑)

・松本
あ、ごめん。失礼よね(笑

・石原
笑)どんなつらいことがあったのかって?

・松本
いやむしろ、いまに至るまでに、どんな楽しい事があったのかと。
チアで「これは面白い!!!」とハマって、そこから大きく変わったのかな・・?

・石原
笑)えーっとですね、もともとはうまく自分を表現できなかった子だったんですよね。ものすごいもやもやしていて。
なので勉強を一生懸命することによって、自分を表現しようとしていた気がします。勉強を一生懸命にしたら、結果も出て、ある程度前にも出られるようになった。ただ、出ていけるようになったのはいいんですけど、
なんとなく、やっぱり「自己表現」の仕方が、まだしっくりきてなくて。
高校に入ってから、お笑い系になったんですよ。

・松本
急に??

・石原
そう、急に。何でかは分かんないんですけど(笑。
もともと、人を喜ばせることは好きだな、って気付いてきてたので、
面白いこと言ったり、やったりして。でもやっぱりそれもあんまりしっくりこなくて。何でしょうね、自分を犠牲にして取る笑いだったからかな。
あんまり自分がハッピーじゃないな、って。それよりも、自分が幸せになって、
ハッピーな自分を見てもらって相手をハッピーにできるようなことで、
自己表現をしていきたくなった。
そんな時に辿り着いたのが、たまたまチアだったんでしょうね。

・松本
チアリーディングとはいつ出会ったの?

・石原
大学に入学してスグですね。
大学のクラブ紹介の時に知りました。
いやー…、すごくショッキングでしたね。
満面の笑み、キビキビとした動き、英語の大きな掛け声、
しかも飛んだり跳ねたり、回ったり…。
いやもうね、「なんなんだ、この人たちは…」と(笑。

・松本
ある種のカルチャーショックよね(笑

・石原
はい。自分の中に「無かったもの」すぎて、ショックでした。
でも求めていたというか、探していたものだったんでしょうね、
気になりすぎてその日のうちに入部していました。
なんというか、人生で一番衝撃を受けた日だったと思います。
それまでいわゆる「古風」な教育しか、親からは受けてこなかったので。

・松本
そっかー。でもいま「古風」っていうワードが出たんだけど、
ご両親はいわゆるしつけやマナーに厳しいお方だったのかしら?

・石原
笑)うーん、そうですね。厳しい…というか、強烈というか(笑
両親はふたりとも商売人の家系でね。
父が船場の繊維問屋の息子、母は布団の小売業を営む家庭で育ったんです。
当時はまだ小売から繊維問屋に嫁ぐ、ということに
ステータスを感じられる時代だったんですね。しかも父は長男で。
母は私たちを「自分がしっかり育てなければ!」という意識が強かったみたいで、
とても厳しく“きっちり”と育てられたんです。(笑

いま私が経営者として、母と同じ立場になってみると
いつでも一本筋が通っている母のすごさや、かっこよさは
とてもよくわかるんですが、
子どもの頃はただ圧倒される部分が大きくて。
大人になってわかる母のすごさ、というか、ね。

親子関係、母子関係でいうと、幼少期は少しキツイ時代がありました。
自由、ではなかったですね。

・松本
それがチアで変わった、と。自由になった?

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・石原
そうですね。そもそも、大きな声を出して、体を動かす、ということ自体が
とても健全だなと、身をもって体感したんですよね。
何かね、精神と肉体のバランスが取れたんですよ。初めて。

・松本
それまで体調があまりよくない時もあった?

・石原
うーん、健康だったんですけど、幸せじゃなかった、というか、
体があまり居心地がよくないというか・・・。

・松本
それまで運動経験は?

・石原
これがまた運動はまったくしたことがなかったんです。
バスケ部のマネージャーくらい(笑
でも自分を表現して、誰かを応援する、ということは、
こんなにも自分自信を幸せにしてくれるんだと、
身を持って知る事ができたのはチアのおかげですね。

全否定された気がした、社会人1年目。
自信喪失後、出会った仲間、お客様の存在。

ー新しい自分とも出会えた順風満帆な学生時代。
4年の時を経て迎えた社会人1年目、しかし待っていたのは、
いままでに感じたことのない大きな挫折でした。

・松本
新卒ではどんな会社に?

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・石原
就職したのは誰もがその名を知る大手企業でした。配属されたのは東京本社で、しかも社内でも花形とされていたマーケティング部だったんです。でも2年で退職しました。

・松本
新卒で入った会社では、学生時代のようにうまく自分が表現出来なかった?

・石原
表現もなにも…。あまりに仕事が出来なさすぎて、パニック状態に陥ったんです。周囲からも「あいつはなにもできない」のレッテルが早々に貼られて(笑
いま思えば当然なんですけどね。
きっとわたし、窓際族の最速記録だったと思います(笑
傷ついて、自信を無くしてた2年目の冬。
実家に帰省した時、当時の求人誌「 B-ing」をみたんです。
そしたらそこに、リクルートが自社の求人広告で営業職を募集していた。
その広告を見たときに「ああ、故郷の関西に戻ってきたい。この街でもっかいやりなおしたい」な、と思って。それから程なくして転職、それが24歳の時のことですね。

・松本
リクルートで無事、パニックは治った?

・石原
はい。リクルートの仲間には本当に助けられました。

いまでも忘れられないのが、
リクルートに初出社した日のことです。
東京でボロボロに傷ついて自信を無くした私が、
故郷に戻って転職後、初の出社。
恐る恐る新オフィスの扉をあけたら、フロアに入った瞬間、
当時上司だった須崎さんという方が、私のところへ駆け寄ってきてくださったんです。
「おおー!石原!!待ってたよー!これからよろしくな!」って。とても力強い握手もしてくださった。
もう、その時の感動と、あったかい手の温もりは忘れられない。
「ああ、この人たちや会社に報いる仕事を本気でしたい」って、強く思ったんですよね。

それからはもう数え切れないくらい、たくさんの、素敵な仲間たちに囲まれて仕事をする日々で…。楽しかった。

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・松本
昔からリクルートには面白い人が多かったもんね(笑

・石原
いやもう本当に。すごく話がおもしろかったり、プレゼンが抜群にうまかったり。
リクルートって、すごい人がたくさんいた。でもみんな共通していたのは、あったかい人柄。そんな人たちと仕事しているのが楽しくて楽しくて、夢中で仕事した6年間でした。

・松本
リクルートに入社してから4年めに、ゼクシィからHRの事業部、
株式会社リクルートHRマーケティングに転職しているよね?
それはなにかきっかけが?

・石原
当時のゼクシィにはA職(アルバイト)で就職したんですけど、
残念ながら正社員の席が空いてなくて。
正社員への道を求めて転職したんです。

・松本
社員への憧れ、というか…執着があったのかな?

・石原
ありました。
一緒に働いていた仲間が好きだったからこそ、
この人たちと一緒にずっと頑張っていたい、って思ってたんです。

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でもある日、わたしより社歴の浅い男性スタッフが、
先にリーダーへと昇格する出来事があって。
疑問を抱いた私は即座に上司に聞いたんです。
「営業としても私の方が結果出してるのに、しかも入社も私の方が先なのに、
なぜ彼が先にリーダーになるんですか?」と。

そしたら帰ってきたのは「彼は社員だから」という答えだった。
じゃあ私も社員になりたい、どうすればなれるのか?と聞いたところ、
「そもそも当時、社員の枠は空いてない」と。
社員になれない、という現実を知り
「あ、わたし置いていかれるんだ」って。一気に寂しく思ったことを覚えています。

・松本
置いていかれる、かあ。

・石原
はい。このままじゃ置いていかれる、やばい、と。一度、恐怖を覚えたらもう止まらないですよね。自分で社員を募集している部署を探したり、上司に相談したりした結果、当時の事業部長直々の計らいもあり、当時社員を募集していたリクルートHRマーケティングに転職したんです。

・松本
アルバイトではなくて、待望の社員になれたんだ。

・石原
結局、最初はアルバイトで入っただったんですけどね。でも新しい職場では社員を募集してて、結果次第で、社員に引き上げられる可能性もあったので、転職したんです。リクルートHRマーケティングに入社してからは、もう必死のパッチで。
めっちゃ頑張って結果出しました。正社員になりたかったですからね。

・松本
でもHR事業部は、ゼクシィの営業スタイルとは違って、基本全て新規開拓でしょう?大変…だったよね?

・石原
笑)それまではやったことなかった飛び込みとか、テレクリとかもガンガンしました。でも「結果出さないと社員になれないー!!!」って思ってたからもう必死
でもね、頑張ったおかげで、1年弱で社員になれたんです。

・松本
はや!すっごいね!…でも、燃え尽き症候群にならなかった?

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・石原
それがなったんですよ、見事に(笑 「あれ?もう社員になっちゃった」って。
いや、いいんですよ、本来それで。当初の目的だったから。でも、なんだかガクッと気が抜けちゃって。HR事業部に移って2年目の時のことですね。そんな時でした、JUMPSを兼業で立ち上げたのは

・松本
ほう!思い切ったね!燃え尽き症候群からの起業かあ…。いざ起業しよう!と思えたのはお客様からの言葉?なにか印象的な出会いやエピソードでも?

・石原
実はね…わたし、そのころ大失恋してるんです、結婚の話まで出ていた相手と。
それはもう落ち込んで、落ち込んで…。でも最上級に落ち込んでた時にね、チアの後輩に言われたんです。「先輩!いつまでも落ち込んでる場合じゃないでしょ!
関西を元気にするっていう夢があるんでしょ?!」と。その言葉で我に返りました。そうか、わたし周りにもずっとそんなこと言ってたんだなと。だったらやってみよう、と。

・松本
失恋をバネにしたのかー。すごいな。

・石原
いま思えばただただ、若い女の子の「やりたい〜!」という気持ちが先行しただけに過ぎなかったな、と思いますけどね(笑。

起業、結婚、妊娠、そして
がん、離婚、講師スタッフの一斉退職

ーJUMPSを立ち上げた28歳。それから2年後の30歳で結婚。
40代に突入した彼女はいま、自身の30代を「しょっぱい10年」と振り返ります。

・松本
最初から順調だった?

・石原
いえいえ!!最初は「関西を元気にしたーい!やりたあい!」って思いだけ。到底経営と呼べるものではなかったです。でも最初はリクルートの仕事と兼業でしたし、途中からは結婚もしていましたから、経済的に自分が食べていける程度のお金は確保できていたんですよね。だから余計に「経営」ではなかったと思います。
ただ結婚生活は2年で終焉を迎えたし、その時はもうリクルートも辞めていた。
これはヤバイぞ、マジで食べていけなくなるぞ、と…。

・松本
そこから意識が変わった。

・石原
そうですね。私の30代はホントに「しょっぱい」時代だったなと。妊娠中にがんも発覚したし、産後に手術、その後娘が2歳になる前に離婚。
でもね、さらに追い討ちをかけるような出来事が、いまから4年前に起きまして。
実は、指導する講師がほぼ全員退職という
凄まじい事態に陥ったんです。

・松本
えええ…!!!それは大変だったね…。でもその経営者あるある…、めーーーーーーっちゃわかる!

・石原
わかって頂けますか(笑 でも問題は講師と私との信頼関係でしたね。

・松本
石原さんへの信頼が薄かったのかな?

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・石原
私が当時現場にいなかったことが、スタッフとの信頼を築けなかった一番の原因だったと思っています。途中で経営者である私のことも、講師であるスタッフのことも、理解してくれていた存在のスタッフが退職し、ガタガタと組織が崩壊したんです。

・松本
経営者と従業員の理解齟齬…。あるあるだね…。

・石原
でも当時、そんな大した経営もしてなかったですからね、講師が理解できなかったのも無理はないと思います。ただ、一斉に講師がいなくなった時は、本当にどうしようかと思いました。「教室の運営はどうしよう、頑張ってくれている生徒たちは、応援してくださる親御さんたちはどうしよう。」いろんな思いが頭をぐるぐると巡って。

・松本
そっかぁ…。

・石原
でもなんとか踏ん張りました。
ほかのバイトもしながら、私自身も子どもたちの指導に駆け回りました。
指導していないわずかな時間に、いいコーチや選手の存在を聞きつけては、JUMPSの仲間になってくれるよう、口説いて回った。口説いて、説得して…。そしておかげさまでひとり、ふたりと優秀な講師たちが集まってくれたんです。しかもわたしよりずっと教え方が上手で、素晴らしい指導者ばかり。だからね、この仕事だけで食べていけるようになったのなんて、経営ができるようになったのなんて、ホントに最近のことなんですよ。

・松本
いやすごいね…。それだけ数々の苦境を乗り越えてきたのは…。うちもいろいろあったけど、そこまで大量人数の退職は経験ないから、頭が下がる思いだわ…。

・石原
すべては自分の未熟さが原因です。当時の講師たちにも申し訳ないことをしたと思います。それだけに、いま集まってくれた講師たちにはいくら感謝しても足りません。

 

チアリーディング最大の魅力は
表面的な華やかさではなく、
その根底にある「精神性」

ー見た目の華やかさに注目が集まりがちなチアリーディング。
しかし、自分にとって一番の魅力はそこではないと、最後に石原さんは話してくれました。

・松本
これまでの12年、いろんなことがあったけど、実はぶれてないよね、「関西をチアで元気にしたい」というこの一点は。だけど12年前の組織と、いまの組織では全然違う。もしかすると石原ちゃん自身が、チアの精神を実現できてきたから
つまり、講師さんや生徒さんを応援する側にしっかりとまわれたから、じゃないかなと。だからいま、講師さんたちも頑張ってくれてるんじゃないかと。どう思う?

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・石原
どうなんでしょう…。講師たちがそう思ってくれているかはどうかは、まだ確信がもてないですけど…。ただひとつ言えるのは、いまはこのJUMPSの場所が、生徒や講師や保護者や、みんなが輝ける場所であればいいなとは思っています。ホントにそれだけ。わたしは脇役でいいJUMPSという舞台で、みんなが大切な誰かを応援することでイキイキできるなら、本当に嬉しいんです。

チアの精神性「誰かを応援する」という教え・スタンスってとても素晴らしいと思っていて。もちろん、衣装やヘアメイクなどの華やかさも、勝ち負けを左右するテクニックも、チアを構成するひとつの要素ではあります。ただ、そこに偏りすぎると本来、チアが教えてくれる大切な精神を見失ってしまう気がするんです。

・松本
視野が狭くなる、という感じ?

・石原
はい。「私、綺麗でしょ?すごいでしょ?見て見て!」という、自分中心のチアになる気がする。それはそれでやってる本人は幸せだと思いますよ。でも自分主義ではなく「誰かを応援したい」という、相手を思うスタンスで取り組めたら、そこから得るものってもっともっと大きい。私が愛して止まなかった仲間や、お客様や、大切な人たちとはすべて、チアの「応援する」精神が繋いできてくれたから、そう言えるんです。だからいまでもその魅力にはまっていますし、これからもハマりつづけるんだと思います。

・松本
うん、うん。素敵だね。やっぱりこれからも私は、石原ちゃんを応援しつづけたいです。

ーーー

編集後記

先日、JUMPSのイベントを観てきました。自分でもいやいやまさか…!とは思ったのですが、ステージをみたあと感動して号泣してしまいました。松本がどこで感動したのかは、長くなるので割愛しますが、確信したのは、このステージできっとたくさんの人が勇気づけられたんだな、ということでした。

小さい子供が一生懸命踊る姿を見て、同世代の子どもたちは、羨望の眼差しを注ぎ。

もう少し大きな子供たちが難易度の高いダンスを披露する姿をみて、「次こそは自分も!」と、幼い子どもたちは成長意欲を抱き。
年配の男女がハツラツとおどる姿をみて、ご年配の観客は、老いた自分に秘められた可能性を感じ。
一生懸命衣装を作った親御さんは、我が子の成長を喜び。
きっといろんな応援の形がこの空間に成立しているんだと、感じたのです。

石原さんは、舞台に立つ人を応援しています。舞台に立った人は、観に来た人を応援します。そして観に来た人は、この場には来れなかった自分の大切な人を、また新たに出会う人をきっと応援するでしょう。
まるで一粒のしずくが水面に落ち、静かに波紋を広げていくように、12年かけてコツコツと「応援の波紋」を広げてきた石原さん。どうにも彼女に、尊敬の念を抱かずにはいられないインタビュー。私もいま目の前の人を幸せにしたい、そうおもわせてくれた1時間でした。

石原由美子

神戸女学院大学人間科卒。新卒入社した会社を2年で退職後、株式会社リクルートに中途入社。結婚情報誌ゼクシィの営業を経て、リクルートHRマーケティングにて、求人広告営業を経験。同部署に勤務しながら兼業でJUMPSを立ち上げる。2013年に法人化。現在は関西圏に5個所のスクールを運営。全12人のコーチ陣とともに、4歳から15歳までの子どもたちへ、チアスピリットを重んじた指導を行なっている。さらにはシニアや障がい者などへのチア普及活動も。テレビや雑誌などのマスコミ各社からも注目を集め続ける。